「敗者」たちの叫び(13)――林彪グループ(その11)(サーチナ)
今、気になっていることは「看板賃貸契約書に印紙は必要?」ですがこんなニュースがあります。
38年前の1971年9月に起きた林彪事件にからむ謎のひとつは、なぜ林彪搭乗機がモンゴルで墜落したかである。
燃料が少なくなり、やむなく緊急着陸を試みたものの、失敗してしまった、という中国当局の公式見解は事実に合致しているのだろうか。
林彪搭乗機が墜落したのは9月13日午前2時30分ごろである。
ウランバートルにある中国大使館がモンゴル外務省からの連絡で中国機の墜落を知ったのは、翌14日早朝だった。
搭乗していた9人全員の死亡も確認された。
モンゴル外務省は中国機の領空侵犯に抗議し、その釈明を求めたのである。
事件当時、駐モンゴル大使館に勤務しており、墜落現場の調査にもあたった外交官の孫一先の著書によると、中国機の墜落を伝える大使館発の電報が北京の中国外務省に届いたのは14日午後1時前のことで、その電報を読んだ外相代理(後に外相)の姫鵬飛は思わず笑みを浮かべ、「このうえない結末」と喜んだという(孫一先『在大漠那辺――林彪墜機真相』中国・中国青年出版社、2005年、94ページ)。
孫一先らが墜落現場を訪れたのは15日午後である。
本国の外務省は、林彪らの遺体だとはまだ伝えていない。
真相を知らされないままの調査であり(孫一先が真相を知らされるのは墜落から20日後の10月3日)、そして、彼らよりも先にソ連当局者が調査していたことも孫一先らは知らなかった。
当時、中ソは激しく対立しており、モンゴルはソ連と同盟関係にあった。
孫一先は墜落現場に向かう飛行機の中からウランバートル郊外のソ連空軍基地を目にし、ここから飛び立ったソ連機が中国機を撃墜したのではないかとも考える(『在大漠那辺』、102?103ページ)。
中国側の調査は16日午後まで、ほぼまる1日かけて行われた。
このとき孫一先らが撮影した現場の写真、描いた現場の地図等をもとに、中国空軍の専門家チームが出した結論が公式見解である。
現場で孫一先が着目した、右の翼に残された直径40センチあまりの大きな穴については、着陸時に燃料タンクに引火して起きた爆発によるものと判断された。
着陸時、タンクにはなお2・5トンの燃料が残っていたと推定されている。
この公式見解に対して、一部の研究者は疑問を投げかけている。
疑問の根拠は、燃料がなお残っていたということであり、翼に見られた大きな穴であり、墜落機が空中ですでに火を噴いていたという現場近くの住民の証言である。
証言が正しいとすれば、林彪搭乗機は緊急着陸によって出火したのではなく、空中ですでに出火していたことになる。
それらをもとに、たとえば、林彪搭乗機がソ連軍のミサイル攻撃を受けて出火し、燃料を残しながらも緊急の着陸を余儀なくされた可能性も指摘されている。
謎を解く鍵は、墜落機の「ブラックボックス」である。
それはソ連、現在はロシアの手にある。
真っ先に墜落現場を調査したソ連当局者が持ち去ったのである。
孫一先ら中国当局者が現場を調査した際、中国側はモンゴル側にブラックボックスについて尋ねてはいない。
「われわれにはその方面の知識がまったく欠如しており、本国からの連絡もそうした要求にふれていなかった」からという(『在大漠那辺』、114ページ)。
ブラックボックスに記録されているはずの林彪搭乗機内での会話内容が明らかになれば、謎の解明に大きな進展がもたらされるだろう。
だが、ソ連(ロシア)当局はその内容を公表していない。
また、この38年間、中国政府がソ連(ロシア)に対して、ブラックボックスの返還を求めたという情報もない。
それは中国の指導者の真相究明への消極的な姿勢を物語るものである(文中、敬称略)。
(執筆者:荒井利明 滋賀県立大学教授 編集担当:サーチナ・メディア事業部)
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最終更新:9月25日11時36分
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